バブルって 不動産編

「社長、バブルの経験を話してください。」
 
「バブルでいい思いをしたと思っているようだが、とんでも御座いません。当時入社10年足らずの証券営業マン、市場活況で予算が増えて朝から夜まで働き通し、終わった後はストレス発散で毎晩のように飲みに行ってたよ。ボーナス沢山貰っても飲み屋のつけですっからかん(笑い)。」
 
 
「前に大阪の不動産が値上がった話をしていましたよね?」
 
「1年半前に3700万円で買った中古マンション、1990年に入って日経平均がどんどん下がるので、ヤバイと思い約倍の『7200万円で売りたい。』と買った不動産屋に言ったところ『其の値段なら弊社が買い取ります。実際8500万円で値がついています。』と言われ様子を見たのが間違い、昨年1480万円で売りました(笑い)。」
 
 
「何で7200万円なのですか?」
 
「住宅情報誌で上層階が8500万円で売りに出ているのは知っていたが、株は下がり出したし、居住用3000万控除と売買手数料を買値に足した値段で、慌てて売ろうとしたのよ。大阪の不動産のピークは1990年、特に関西空港関連で南海電鉄の株は暴騰し沿線の不動産価格も上がっていました。私のマンションも運のいいこと(?)に南海沿線にありました。」
 
 
「でも1年半で倍以上は凄いですね!」
 
「株と一緒で天井間際が上げも大きくなるんだよ。株は’89年に天井を付けたけど、不動産は地域によってピーク時が違います。多分東京は‘87年、大阪は ’90年、名古屋・福岡は’91年(?)その後地方都市パラパラと一瞬で終わりました(笑い)。」
 
 
「下げるのも凄いですね?」
 
「バブルの終盤に神戸の高級住宅街岡本に『オーキッドコート』という一戸数億円もする、超高級マンションが出来たのよ、先日インターネットで見つけのだが、130㎡で2180万で売りに出てたよ(笑い)。」
   
 
「怪しくないですか?」
 
「物件概要を見ると、管理費13万/月、修繕積立金3万/月、駐車場3万とか固定資産税も年50万以上掛かるらしいので、維持費から計算すると、こんな値段でしか売れないのでしょう。しかし広大な敷地の中セキュリティーもしっかりしているし、月35万の賃貸と思えば検討の余地はあるんじゃない、私も住んでた住吉の近くだったので、近くから見たけど、ヨーロッパのお城の様でした、あの野茂も住んでたしね。これが東京港区白金・青山辺りじゃほとんど下がらなかつたのにね、関西の不動産は悲惨だよ。息子が優秀だったら買ってみたら?あの灘中高まで距離にして、200mくらいだから。」
 
 
「サラリーマンで不動産投資していた人は少なかったのでは?」
「私のお客さんで(マンション転がし)をしていた人の影響かな?」
 
 
「マンション転がし?」
 
「土地を仕入れてマンションを建てそのまま一棟ごと転売しちゃうのだよ。毎回何億円も儲かるから面白くて仕方なかったようだよ。天井掴みするまでは、手持ちの不動産担保に大きく借金した者の勝ちという時代でしたからね。」
 
 
「個人デベロッパーですか。」
 
「新築マンションの倍率はどこも数十倍、当たればその権利が数百万で売れるから、特にいい物件には申込みが殺到したよ。私も20回ぐらいは申し込んだよ、全く当たらなかったけどね(笑い)。バブルが弾けて2年ぐらいして『当選しました』という電話があり、聞いてみると私の順位は16番目で前の人は全員キャンセルということでした。それは2億6千万の新築戸建物件で、年収1000万程のサラリーマンがよくもまあ、夢のまた夢でした。」
 
 
「夢を見られただけまだましじゃないですか。私らの時代より。」
 
「なんか、皆んなおかしかったのよ、土地の値段は東京23区でアメリカ全土が買えるとこまでいったからね、株式時価総額が一瞬アメリカを追い越した時に気付くべきだったね(笑い)。少しだけいい思いの話をすると、表彰旅行でアメリカへ行った時の話だけど、飛行機はビジネス、ニューヨークのホテルは、天皇陛下や中曽根総理も泊まった『アストリア デュッセルドルフホテル』何しろ贅沢旅行でした。訪問したNY証取でも、シカゴ先物取引所でも、『セイホ(日本の生保のこと)の売買が相場を大きく左右』日本の投資家が世界をリードしていた時代でした。みんなで立ち寄った五番街のヴィトンでは、支店の女性たちへのお土産で、先輩方はアクセサリーを買い占め(中国人か)ほぼ全てが売り切れ(今と違って2000~4000円位ですが)。阪神タイガースが優勝した翌年でしたので、ニューヨーク支店のトレーディングルームで、バースの年棒以上(6億円)が6人いると聞いた時は、更にビックリ、田舎者の私には全てが新鮮でした。」
   
「羨ましい時代でしたね。」
 
「土地持ちはある日、目が覚めたら億万長者になっていました。地下鉄の駅が出来た堺の中百舌鳥というところのお客様から聞いた話ですが、『昨日銀行が来て(たぶん日本興業銀行)駅前(御堂筋線が延線し中百舌鳥駅)の田んぼを売ってくれと、リビングの机の上に1億円の束を10個置いたので、流石に現ナマには目がくらんだよ。』バックは百貨店の『そごう』全国に店舗を次々にオープンし大躍進していました。」
 
 
「そのバブルも暫くすると崩壊したのですね。」
 
「そう、『そごう』は出来た店舗を担保に次々と店舗を増やしていったので、土地の値段が上がっている時はいいが、逆になると、ドミノ倒し的にあっという間に担保不足になっていました。その『そごう』を後押ししたのが日本興業銀行(こちらが主役かもしれませんが?)、日本のエリート集団が、相場師『尾上縫(料亭の女将)』が逮捕された時、その個人に2300億円も融資していたとは驚きでした。当時、時価総額世界1(アメリカトップのGEの2倍)の銀行ですよ、何かが狂っていたのでしょう。これから20年以上にわたる負のスパイラルが始まります、土地神話は崩壊し、あまりの急落で敗戦処理も出来ません、不良債権を抱えた企業等がどんどん泥沼化していきました。」
 
 
「山一や拓銀の破たんに繋がっていったのですね。」
 
「銀行は担保処理しても融資の半分にもならないので不良債権隠し、証券会社は利回り保証した特金等の処理で損失補てんをし証人喚問までいったのだよ。」
 
 
~日興の岩崎会長が記者会見で言った『宴の裏で悪魔が微笑んでいた』という言葉は、国会の証人喚問でも取り上げられ有名になりました。


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